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長栄山
水間鉄道水間線「三ツ松駅西へ徒歩約4分

妙順

住職 南宗徳

長栄山 妙順寺の歴史

開基南道円の先祖は近江朝禁裏の武官であったが、壬申の乱(672)により百有余人と共にこの南郡木島の三ツ松に来た。その戦いに勝利した天武天皇の都へ柿栗等の産物をもって朝参した。坂上姓であったが近江の南から来たので南を姓とした。行基菩薩の指導で池、河川などの水利事業をして、農業をできるようにし、南郡木島の地を木島殿として楠氏や和田氏などとともに支配していた。その子孫、元永元年(1120)、熊野参詣途上の白河法皇を木島十八番頭達と共に出迎え、昔近江朝禁裏の武官であったことやこの地域は稲荷神社を崇敬していることを話した。建武三年(1336)木島(南)大蔵 兵庫湊川に於いて楠木正成らと共に、足利尊氏と闘い討ち死にし、その妻「妙順」が本願寺三代覚如上人に帰依した。開基道円は、「妙順」を以て寺号とし、文安2年(1445)8月28日入滅した。
明応7年(1498)には本願寺中興蓮如上人より六字名号が授与され寺宝として現存する。これらの歴史は「伝言記」としてのこされている。この名号は貝塚市指定有形文化財である。戦国時代には、織田信長と本願寺の戦い等があり、妙順寺は近木川の西側に三ツ松村と共にあった。江戸時代には、近木川の東側に戻ってきた。徳川時代には、妙順寺の住職は代々庄屋も兼務していた。岸和田藩宗門大改め(1854)で家老の斉藤貞常が住職宗恵を「裃でにょぼりと出たる妙順寺坊主か庄屋かわからざりけり」と詠んでいる。前の本堂は元禄年間に建立され、内陣や欄間にある彫刻等は三ツ松出身といわれる左甚五郎一門の作と考えられる。現在の本堂は昭和43年5月落成したが、内陣や欄間は前のものを出来るだけ残した。明治5年(1872)に、木島小学校が三ツ松・水間・馬場・森・三ケ山の5か村の三ツ松郷学として、この妙順寺本堂で開校された。昭和20年より木島幼稚園を運営し、昭和51年より学校法人となり、平成27年より認定こども園木島幼稚園となる。

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